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璦琿戦史

璦琿陣地

中国東北地方(旧満州)の最北部、黒竜江省の北端、中国とロシアの国境を流れる黒竜江(アムール河)をはさんで、ロシア領ブラゴベシチェンスク市の対岸に「愛輝」という街があります。当時、この街は「黒河」と呼ばれており、その南方約30キロに位置する黒竜江岸の街が「璦琿(あいぐん)」です。

 

北黒線 ―― 哈爾濱(はるびん)の北にある北安から黒河に至る鉄道 ―― の璦琿駅付近は「新璦琿」と呼ばれていました。

 

新璦琿は、もともと数十戸の原住民が住む集落にすぎなかったのですが、璦琿陣地ができて、第6国境守備隊が駐留するようになってから、一般の民間日本人が入り込み、その人々が経営する料理屋や食堂などが次々と開業、駅の近くには営外居住者用の官舎が立ち並び、陸軍病院や軍人会館なども建設され、にぎやかな日本人街へと変貌していきました。

 

新璦琿の東南約4キロの丘陵地帯は、「北鎮台(ほくちんだい)」と称され、そこに璦琿陣地がありました。この陣地は、永久陣地、すなわち「要塞」とも呼ばれるもので、巨大な地下施設を内蔵し、厚さ1メートル50センチといわれるコンクリートは、当時のいかなる砲爆撃にも耐えうると言われるほどのものでした。

 

「おれのところは、敵さん一人も通さんよ」―― この陣地に配備されていた第6国境守備隊の隊長であった、濵田十之助少将の言葉です。

璦琿地図

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