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慰霊碑
供養塔と慰霊墓碑の建立
戦後47年が経過した平成5年(1993年)1月、濵田十之助の長男 濵田豊のもとに、璦琿から帰還した戦友の会である全国璦琿会から、一通の手紙とともに次のような供養塔建立趣意書が届けられました。
この供養塔建立の趣意を受け、璦琿会有志の方々からは予想を大きく上回る640数名の方から、240数万円の募金が寄せられました。石碑は、山梨県甲府市の堀内石材店により平成5年5月末に完成、6月20日にハバロフスクに搬送され、22日に建立されました。
その後、石碑上部の烏帽子の形をした部分が、残念ながら何者かにより破損されてしまいましたが、8月22日には、日本から璦琿会の慰霊墓参団と濵田家の遺族が参加して、シベリア各地で死没した部隊戦友のために璦琿会の「鎮魂慰霊」の墓標も供養塔のそばに建立され、東京都目黒区の浄土宗蟠龍寺 吉田嚞雄住職の回向により、供養塔墓前祭が執り行われました。
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平成5年(1993年)6月22日
第八国境守備隊の一五一会によりハバロフスク墓地に供養塔建立
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平成5年(1993年)8月21日
東京、蟠龍寺の吉田嚞雄住職の回向による慰霊祭
供養塔上部の烏帽子部分は破損
そばに璦琿会の鎮魂慰霊の墓標を建立
シベリア各地で死没した部隊戦友のために
建立された墓標
濵田十之助少将の写真の隣に置かれたのは、
妻ユキの晩年の写真
吉田嚞雄住職による回向
当時、中隊長であった森氏による
追悼の辞
祈りを捧げる慰霊墓参団
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