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​シベリア抑留

​書簡

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(表面

書簡③ 表面

(裏面

書簡③ 裏面
書簡③ 文面

​​【現代表記に改めた文面】

皆様、第四回の御正月も過ぎ、雛の節句も迎えたが、 僕は いよいよ元気、

少しも老ゆることなく かえって若返りつつあり。 安心してくれ。

うちでは 皆元気で 母を中心として よく勉強し よく働き居る由 全く 安堵している。

潤の高工、宏の高校、宣子の中学で勉強中 また大いに良し。

夫嵯子、豊、陽子等、御苦労だね。

豊よ、勤務のかたわら、 勉強を怠るなかれ。一生は勉強の連続でなければならぬ。

宏や宣子も、大きくなったろうねー。

これにつけて、夫嵯子の年齢のことが、一番気にかかる。

雪子は無一物となりた我家、生活や子供等の教育につき、心労の程 察し、同情に堪えない。皆様よ、人間として、苦なき所は 行き詰りで 神経衰弱になるより仕方がない。

苦あるが故に、発憤あり。希望、光明、努力、慰め等、一切の楽しみあり。

即ち、苦ある所、生き甲斐ある生活が出来る。

諺にも「苦心の中に常に心を悦ばしむるの趣を得、得意の時期に失意・悲を生ず」

「清貧は常に楽しく 濁富は憂多し」

「発憤する所 洪大(こうだい)なれば 悟る所も洪大(こうだい)なり」

「懈怠怯弱(けたいきょうじゃく)の百才は 勇猛努力堅固の一日に如かず」と。

皆々、これらを心として、心を合せ 力を一つにし、大いに励みたまえ。  

宏は、将来、好なれば、医者になりたら如何か。父の希望する所なり。

皆様、御機嫌よろしゅう。

北村の皆様によろしく頼みます。

 昭和二十四年三月五日 第七信

第六信は 辻利市様へ 差上げておいたが、 己に 辻様より 連絡ありし事と思う。

辻様にもよろしく。

御祖母様や 片掛、池田様等は 如何なりたろうか。 

豊よ、日本のはがきでも、露語の住所を明瞭に書けば、届くよ。

                       他の人に 時々来るよ。

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